田坂和昭たさかかずあき
元男子サッカー選手、監督[日本]
1971年 8月3日 生 (満53歳)
田坂 和昭(たさか かずあき、1971年8月3日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手で、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。
現役時代のポジションは主にミッドフィールダー(MF)。
元日本代表。
来歴=
選手時代=
1994年、ベルマーレ平塚がJリーグに昇格した年に入団。
初年度からディフェンシブハーフ(ボランチ)のポジションを前年不動のレギュラーであった松山広淳から奪い、開幕戦から出場。
平塚競技場のこけら落としとなった第2節では渡辺卓と激突し、顔面を骨折してその後1ヶ月を棒に振ったものの、復帰後は中心選手として活躍した。
1stステージは岩本輝雄、名良橋晃の超攻撃的両サイドバックのフォローに追われたが、NICOSシリーズは優勝争いを演じ、田坂自身はJリーグ新人王を獲得した。
以後、不動のボランチとして活躍、1995年には日本代表にも選ばれた。
しかし当時の監督加茂周がストッパーとして起用、イングランド遠征ではロベルト・カルロスに一瞬で振り切られるなど、スピード面での課題が露呈した。
フィリップ・トルシエが監督に就任すると再び代表に招集され、キリンビバレッジサッカー'99の日本対ブラジルではスタメン起用された。
1998年、バブル崩壊で平塚の親会社であるフジタの経営が悪化し、当時高額契約の選手であった小島伸幸、呂比須ワグナー、名塚善寛、洪明甫と共に自由契約となった。
1999年、東海大の先輩である澤登正朗のいる清水エスパル ……
田坂和昭さんが誕生してから、53年と103日が経過しました。(19461日)