日高六郎ひだかろくろう
社会学者[日本]
1917年 1月11日 生
2018年 6月7日 死去老衰享年102歳

日高 六郎(ひだか ろくろう、1917年1月11日 - 2018年6月7日[1])は、日本の社会学者。
進歩的文化人の一人である。
英文学者日高八郎の兄。
来歴・人物=
中国の青島市に生まれる。
東京高等学校 (旧制)[2]を経て、東京帝国大学文学部社会学科に進学し、1941年、卒業論文「個人と社会」[3]をまとめ、卒業[4]。
尾高邦雄の教え子[5]。
陸軍に召集されるが肺炎のため4ヶ月で除隊。
その後、東京帝国大学文学部助手になり、1944年の秋から海軍技術研究所の嘱託として政治情勢の調査研究に携わっている[6][7][8]。
戦後は東京大学新聞研究所助教授になり文学部社会学科の兼任を経て、1960年に新聞研究所教授となる。
ベトナム戦争に反対し脱走米兵を援助する運動に参加して自宅で脱走兵を匿った。
1969年には東大紛争での機動隊導入に抗議して東京大学教授を辞職。
1971年に渡仏した[9][8]。
また1968年2月金嬉老事件の際、鈴木道彦や中野好夫、中嶋嶺雄、宇野重吉らと共に銀座東急ホテルで「金さんへ」という呼びかけで始まる文書をとりまとめて、後日文化人・弁護士5人がその文書を吹き込んだテープを持って、金嬉老を訪ね会見した[10]。
→詳細は「金嬉老事件 § 備考」を参照
1974年日高が帰国中に妻がフランス警察に日本赤軍との関係を疑われ取り調べを受ける。
容疑は晴れて釈放されたが、フランス政府は1989年まで日高夫妻に長期滞在ビザを発給しなかった。
1976年に、思想の科学研究会 ……
日高六郎さんが誕生してから、108年と170日が経過しました。(39617日)
亡くなってから、7年と23日が経ちました。(2580日)
37037日間 生きました。