生年月日データベース

藤原定子ふじわらのていし

一条天皇皇后[日本]

(貞元2年生)

0977年

(ユリウス暦) 1001年 1月13日 死去享年25歳
藤原定子の辞世
夜もすがら 契りしことを忘れずは 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき
 - ウィキペディアより引用

藤原 定子(ふじわら の ていし/さだこ、貞元2年(977年) - 長保2年12月16日(1001年1月13日))は、平安時代、第66代一条天皇の皇后(号は中宮、のち皇后宮)。
脩子内親王・敦康親王・媄子内親王の生母。
通称は一条院皇后宮。
『枕草子』の作者清少納言が仕えた女性である。
系譜 関白内大臣正二位藤原道隆の長女、母は式部大輔高階成忠の女・正三位貴子。
正二位内大臣伊周、正二位中納言隆家は同母兄弟。
生涯 永祚元年(989年)父方の祖父である摂政兼家の腰結いで着裳、その時はじめて歴史の表舞台に登場する。
正暦元年(990年)1月25日、数え14歳の春に、3歳年下の一条天皇に入内し、まもなく従四位下に叙せられ、ついで女御となる。
局は登華殿(一説に梅壺、または両方とも)。
同年10月5日、皇后に冊立され「中宮」を号した。
なお、定子は一条天皇の皇后として「中宮」を号したのであり、立后の詔にも「皇后」と明記された。
正暦元年当時、律令が定める「三后」のうち、太皇太后は3代前の帝の正妻・昌子内親王、皇太后は当帝の生母・藤原詮子、中宮は先々代の帝の正妻・藤原遵子で全て占められていた。

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の言及 【清少納言】より …平安中期の女流文学者。父は〈梨壺の五人〉の一人として有名な歌人清原元輔,祖父(曾祖父ともいう)深養父(ふかやぶ)も清少納言自身も中古歌仙三十六人に数えられる和歌重代の家柄。父の友人には源順,大中臣能宣ら漢詩文や和歌に達者な一流人物が多く,元輔の末娘はこれらの人々に愛され,利発で早熟な少女として育った。981年(天元4)ころ,名家橘氏の嫡男則光と結婚,翌年則長を生んだがまもなく離婚,991年(正暦2)ころ,父ほど年の違う藤原棟世(むねよ)と再婚し,小馬命婦(こまのみようぶ)を生んだが別居して,993年冬,一条帝中宮,関白藤原道隆の娘定子に仕えた。… ※「藤原定子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 (引用元 コトバンク)