京マチ子きょうまちこ
女優[日本]
1924年 3月25日 生
2019年 5月12日 死去心不全享年96歳

京 マチ子(きょう マチこ、本名:矢野 元子(やの もとこ)。
1924年〈大正13年〉3月25日 - 2019年〈令和元年〉5月12日)は、日本の女優。
大阪府大阪市出身。
生涯=
OSK時代(1948年)
1952年
1953年10月18日から28日にかけて、第1回「フランス映画祭」が東京、大阪、京都の各都市で開催され、ジェラール・フィリップとシモーヌ・シモンが来日した。
写真は会期中の10月23日に高輪光輪閣で行われたパーティーの模様。
前列左から、京マチ子、ジェラール・フィリップ、シモーヌ・シモン、山田五十鈴、高峰秀子。
後列左から、池部良、三益愛子、早川雪洲、木下惠介。
一人っ子として出生したものの、5歳のときに父が蒸発し生別、母と祖母の手で成長した経緯を持つ。
1936年(昭和11年)に大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に入団して、娘役スターとして戦時中に活躍した。
1949年(昭和24年)に大映に入社、女優デビューした。
後輩の若尾文子、山本富士子と共に大映の看板女優として活躍した。
160cmと当時としては大柄であり、官能的な肉体美を武器に数々の名作に出演した。
溝口健二監督作品『雨月物語』(1953年)、黒澤明監督作品『羅生門』(1950年)、衣笠貞之助監督作品『地獄門』(1953年)など、海外の映画祭で主演作が次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれる。
1971年(昭和46年)の大映倒産以降はテレビドラマと舞台を中心に移し、活躍の幅を広げた。
大映社長永田雅一との恋愛関係 ……
京マチ子さんが誕生してから、101年と97日が経過しました。(36987日)
亡くなってから、6年と49日が経ちました。(2241日)
34746日間 生きました。