生年月日データベース

久本祐一ひさもとゆういち

プロ野球選手[日本]

1979年 3月14日 生 (満45歳)

久本祐一 - ウィキペディアより引用

久本 祐一(ひさもと ゆういち、1979年3月14日 - )は、大阪府大東市出身の元プロ野球選手(投手)。
左投左打。
経歴= プロ入り前= 柏原高校(現:東大阪大学柏原高校)から亜細亜大に進学。
大学時代は1年上に左腕・佐藤宏志、松井光介、吉川昌宏が同期、2学年下に木佐貫洋がいて2試合登板したのみで登板機会に恵まれず、通算2試合に登板、0勝0敗、防御率5.40を記録。
2001年の第72回都市対抗野球大会で河合楽器が初優勝を果たした際、若獅子賞を受賞する働きを見せ一躍注目される。
同年の野球部休部に伴い、特例措置で同僚の山井大介とともにドラフト4巡目指名で中日に入団。
プロ入り後= 中日時代= 2002年は即戦力の期待を受けながらわずか5試合の登板にとどまった。
2003年に変化球のキレが増して急成長し、51試合に登板して防御率3.22の好成績を残した。
リードされた場面での登板が多かったが、イニング数を上回る奪三振を記録した。
2004年、38試合に登板して防御率3点台とまずまずの成績を残したが、シーズン前半は安定感を欠いた。
2005年不調で二軍暮らしが長く、防御率6点台と低迷した。
同年オフに入団した吉見一起が背番号19をつけることになり、61に変更となった。
2006年、不調の高橋聡文に代わる左の中継ぎとして活躍し、27試合に投げて防御率1点台の好投を見せた。
5月には3年ぶりのセーブも記録した。
ルーキイヤーの2002年から2005年まで毎年1勝しか挙げることができ ……

久本祐一さんが誕生してから、45年と253日が経過しました。(16689日)

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