長谷部康平はせべこうへい
元プロ野球選手[日本]
1985年 5月21日 生 (満39歳)
長谷部 康平(はせべ こうへい、1985年5月21日 - )は、岐阜県関市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。
左投左打。
引退後、2017年から株式会社楽天野球団営業第二部スポンサー担当。
現在は宮城県を拠点に活動。
経歴=
プロ入り前=
小学2年で野球を始めると、中学時代には岐阜中濃シニアでプレー。
愛知県の杜若高等学校時代には、後に名城大学を経て中日ドラゴンズへ入団する山内壮馬とエースの座を争いながら、背番号1番と10番を交互に付け合った。
ちなみに、在学中には春・夏とも全国大会への出場経験がなく、3年生夏の愛知県大会でベスト4に入ったことが最高の成績だった。
愛知工業大学への進学後に、1年春の愛知大学野球リーグ戦で初登板。
3年時からエースとなり、3年生としては唯一人第35回日米大学野球、第3回世界大学野球選手権の代表に選出される。
4年秋の名古屋商大とのリーグ開幕戦にて17奪三振を記録。
同年8月、北京五輪プレ大会に選出され優勝に貢献。
同年11月、第37回IBAFワールドカップに選出され、抑えとして5試合に登板、無失点の好投を見せる。
同年12月、プロ野球選手で構成された北京五輪アジア予選メンバーに唯一アマチュアから選出され、自身の登板はなかったもののチームは優勝を果たす。
リーグ戦通算21勝21敗、防御率2.39、敢闘賞2回、最優秀防御率1回。
北京五輪アジア予選メンバーは、楽天を除く11球団からの選手で構成されていたが、大会 ……
長谷部康平さんが誕生してから、39年と184日が経過しました。(14429日)