生年月日データベース

小泉純也こいずみじゅんや

政治家[日本]

1904年 1月24日

1969年 8月11日 死去享年66歳
小泉純也 - ウィキペディアより引用

小泉 純也(こいずみ じゅんや、1904年〈明治37年〉1月24日 - 1969年〈昭和44年〉8月10日)は、日本の政治家。
位階は正三位。
衆議院議員、防衛庁長官を務めた。
旧姓:鮫島(さめじま)。
ニックネームは安保男(あんぽおとこ)。
衆議院副議長、逓信大臣などを歴任した小泉又次郎の女婿。
首相を務めた小泉純一郎の父。
根津財閥の大番頭だった鮫島宗一郎は従兄弟。
横須賀市議会議長をつとめた井料克己は甥。
来歴・人物= 生い立ち= 鹿児島県川辺郡東加世田村大字小湊(後の万世町、加世田市、現在の南さつま市加世田小湊)小松原地区の漁業・鮫島家に生まれた。
父親の鮫島彌三左衛門(やざえもん)は事業に失敗し、地元の鰹節工場に雇われていたが、純也が11歳の時に亡くなった。
母親が三男六女を育てたが、家が貧しく純也のきょうだいのうち3人が亡くなっている。
当時の加世田地区は貧しい家庭が多く、ほとんどの子弟が出稼ぎなどに出ている。
純也も小学校を卒業すると、鹿児島市内に働きに出た。
学生時代= 鹿児島実業の夜学に通いながら、市内にある呉服店山形屋(現:百貨店)に勤務した。
学校を出ると朝鮮銀行に職を求め、お茶汲みをした。
また、職工として大阪や神奈川・鶴見の旭硝子(現:AGC)工場で働いた。
代議士岩切重雄の書生となって、日本大学法学部政治学科の夜学に通わせてもらい、1930年に卒業した。
岩切の紹介で立憲民政党の職員と ……

小泉純也さんが誕生してから、120年と302日が経過しました。(44132日)
亡くなってから、55年と102日が経ちました。(20191日)
23941日間 生きました。

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