泰道照山たいどうしょうざん
エスエス製薬 創業者[日本]
1907年 1月2日 生
1984年 2月20日 死去享年78歳
泰道 照山(たいどう しょうざん、1907年(明治40年)1月2日 - 1984年(昭和59年)2月20日)は、日本の実業家である。
元エスエス製薬会長。
小泉純一郎の元妻である宮本佳代子は孫、小泉孝太郎、小泉進次郎は曾孫にあたる。
経歴=
三重県度会郡小川郷村出身で、勘吉の三男。
1919年(大正8年)に神戸鉄道教習所を卒業して港町運輸事務所と大東被服に勤めたのち、1930年(昭和5年)に独立する。
1942年(昭和17年)に東京第十布帛工業を設立して社長となり、東京都布帛製品工業協組専務理事、泰東布帛製品卸商組合理事を歴任する。
朝鮮動乱の好景気で財を成す。
エスエス製薬は金融操作の誤りから1958年(昭和33年)2月に経営不振となり、社長から六代目白井正助が退いて土手守吉が就く。
江戸時代の創業来続いた白井一族の手を離れ、泰道は11月に社長、1970年(昭和45年)12月に会長に就く。
人物像=
宗教は仏教。
趣味は碁、ゴルフ。
孫の宮本佳代子は小泉純一郎と結婚したが、佳代子の父親的存在の泰道は反対した。
佳代子は政治家の妻に不安を抱くも、小泉純一郎から「“何の心配もいらない”と言われ、その言葉を信じて嫁に行った」と述べている。
家族・親族=
泰道家 (三重県、千葉県市川市)
父・勘吉
妻・とみ
養子・正年1927年(昭和2年)6月生 - 実業家
長女・志計子 - 泰道繊維系列の東洋化工で専務を務める宮本輝久(明治大学商学部卒)に嫁いだが、1974年に夫と死別。
……
泰道照山さんが誕生してから、117年と324日が経過しました。(43058日)
亡くなってから、40年と275日が経ちました。(14885日)
28173日間 生きました。