生年月日データベース

松村謙三まつむらけんぞう

政治家[日本]

1883年 1月24日

1971年 8月21日 死去享年89歳
松村謙三 - ウィキペディアより引用

松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年〈明治16年〉1月24日 - 1971年〈昭和46年〉8月21日)は、日本の政治家。
人物= 富山県福光町(現在の南砺市)出身の実業家、政治家。
5回にわたり中国を訪問。
1970年には、周恩来首相から日中貿易継続を許される企業の条件を示された。
そこで、台湾に多くの投資を行い、援助している企業との取引は拒否すると言い渡される。
そうして、日中国交正常化の地固めをした。
幣原内閣では農林大臣として第1次・第2次農地改革に携わった。
経歴= 生家は薬種商を営む地主の素封家で、その長男である。
実母は事情があって2歳の時に松村家を離れ、継母によって育てられる。
腹違いの弟と妹がいた。
立本小学校尋常科・高等科を優秀な成績で卒業して富山の県立一中(富山中学)に入学した。
翌年、高岡に県立二中(高岡中学)ができたため、2年生として編入。
松村は高岡中学の第1期卒業生である。
在学中に校長排斥運動をして2週間の停学処分を受けている。
卒業時の成績は12人中7番。
1902年、東京専門学校(現・早稲田大学)高等予科に進学した。
高岡中学の校長がしきりに「官学へ行け」ということに対する反抗心もあって、同級生2人と誘い合って私学の早稲田進学を決意した。
父親は薬学の専門学校に行って薬剤師の資格をとり家業を継ぐことを望んだが、松村は粘り強く説得して東京遊学を認めさせた。
早稲田大学政治経済学科の第2回 ……

松村謙三さんが誕生してから、141年と301日が経過しました。(51801日)
亡くなってから、53年と93日が経ちました。(19451日)
32350日間 生きました。

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