郷原洋行ごうはらひろゆき
元競馬騎手、元調教師[日本]
1944年 1月21日 生
2020年 1月31日 死去享年77歳
郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 - 2020年1月31日)は、鹿児島県鹿屋市出身の元騎手・元調教師。
元騎手の郷原洋司は次男。
吉野勇は岳父。
経歴=
実家は農家。
五人兄弟の次男として生まれ、父親に育てられた。
幼少期より農耕馬などに乗り馬に親しみ、周囲には普通に馬車が走っていた。
馬車のタイヤはまだゴムも巻かれていない時代で、パワーのある馬が引っ張っていた。
弁当は日の丸弁当が当たり前で、パンや牛乳を持ってくる子がいれば羨ましがられた。
中学時代はマラソンを好きになったこともあったが、日本中央競馬会の騎手講習生募集の広告を見て、東京へ出たい一心で騎手を志す。
中学卒業後の1959年に馬事公苑騎手養成長期課程へ入所し、修了後の1961年より騎手候補生として中山・大久保房松厩舎に入門。
1962年3月にデビューを果たし、同期には中島啓之・榎屋忍・中神輝一郎がいる。
榎屋とは同じ列車に乗って28時間かけて上京し、騎手を目指した。
同17日の中山第2競走4歳未勝利・シオカゼオー(12頭中12着)で初騎乗を果たすが、勝ったヒダノタカラに騎乗したのは同期の中神で、初勝利であった。
4月22日の中山第1競走4歳以上20万下・アイデアルで初勝利を挙げ、10月6日の中山では初の1日2勝、12月8日と翌9日の中山では初の2日連続勝利を記録するなど初年度は8勝をマーク。
2年目の1963年には31勝と躍進し、同年なら1992年まで30年連続2桁勝利を記録。
3年目 ……
郷原洋行さんが誕生してから、80年と305日が経過しました。(29525日)
亡くなってから、4年と295日が経ちました。(1756日)
27769日間 生きました。