久間章生きゅうまふみお
政治家[日本]
1940年 12月4日 生 (満83歳)
久間 章生(きゅうま ふみお、1940年〈昭和15年〉12月4日 - )は、日本の政治家、農林官僚。
昭和ホールディングス社外取締役(監査等委員)。
防衛大臣(初代)、防衛庁長官(第59・73代)、運輸政務次官(竹下内閣)、衆議院議員(9期)、長崎県議会議員(3期)、自由民主党総務会長、同幹事長代理、同副幹事長、同国会対策副委員長などを歴任した。
概説=
長崎県南高来郡加津佐町(現・南島原市)の農家に生まれる。
両親は教育者(父は高校教員、母は中学教員)。
長崎県立口加高等学校・東京大学法学部卒業後、農林省に入省。
農林省退職後に長崎県庁に入庁し、長崎県議会議員を経て、1980年に衆議院議員に初当選。
第2次橋本内閣で防衛庁長官として初入閣。
橋本龍太郎首相は米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の移設問題や日米防衛協力のための指針見直しを控え、自らの意向を反映するには欠かせないと考え、1997年9月11日発足の第2次橋本改造内閣でも留任し、久間は国防族幹部の地位を確立した。
小泉政権時代、同じ橋本派の野中広務・綿貫民輔らが反小泉の姿勢を採る中、額賀福志郎らと共に、親小泉の姿勢を見せていた参議院の実力者・青木幹雄と共同歩調をとり、衆院橋本派の大幹部となった。
2002年6月に鈴木宗男事件が発生して衆議院本会議で鈴木宗男議員辞職勧告決議が採決された時は、起立採決の際に出席議員で唯一着席したままで、反対票の意思表示を示した。
小泉 ……
久間章生さんが誕生してから、83年と352日が経過しました。(30668日)