伊藤一長いとういっちょう
長崎市長[日本]
1945年 8月23日 生
2007年 4月18日 死去銃撃享年63歳
伊藤 一長(いとう いっちょう、本名の読みは「かずなが」、1945年〈昭和20年〉8月23日 - 2007年〈平成19年〉4月18日)は、日本の政治家。
元長崎市長。
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
経歴=
長崎市への原子爆弾投下から2週間後、両親の出身地であり、疎開先の山口県大津郡通村(現在の山口県長門市通地区、青海島に所在)で生まれる。
3年ほどして父の住む長崎市に移住したため、公式には長崎市出身としていた。
長崎県立長崎西高等学校のころより長崎市長を目指し、大学卒業後は長崎市開発公社に就職。
長崎市青年団体協議会会長を務めていた1973年には、約700人の青年が長崎から船で出航し、釜山・那覇市に寄航して交流を深めるという「ながさき若人の船」を実施した。
長崎市議会議員(2期)、長崎県議会議員(自民党所属、3期)を経て、1995年の長崎市長選挙で自民党の推薦を受け、新人ながらも現職の本島等を破り、長崎市長に初当選。
2003年の長崎市長選では各業界や自民党・公明党からの支援を受けつつも無所属で出馬し、自由党支持や共産党推薦の新人4人を大差で破り、3選を果たした。
2007年4月15日、任期満了に伴う市長選挙(統一地方選挙、4月15日告示。
同月22日投開票)に自民党・公明党・民主党・連合(今回初めて推薦)や各種産業団体などの支援を受けて4選を目指し無所属での出馬を表明するものの、2日後の17日に暴力団幹部の男(2012年1月18日最高裁で無期懲役が確定 ……
伊藤一長さんが誕生してから、79年と91日が経過しました。(28946日)
亡くなってから、17年と219日が経ちました。(6428日)
22518日間 生きました。