生年月日データベース

綿引勝彦わたびきかつひこ

俳優[日本]

(旧芸名・綿引洪)

1945年 11月23日

2020年 12月30日 死去膵臓がん享年76歳

綿引 勝彦(わたびき かつひこ、1945年〈昭和20年〉11月23日 - 2020年〈令和2年〉12月30日)は、日本の俳優。
本名:同じ。
旧芸名:綿引 洪。
血液型はAB型。
東京都武蔵野市出身。
日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学藝術学部中退。
劇団民藝を経て、劇団「綿帽子」主宰。
来歴= 少年時代から将来の夢はプロ野球選手で、中学まではずば抜けて上手かったが、進学した日本大学鶴ヶ丘高等学校の野球部にはゴロゴロ凄い選手がいて、プロ野球の夢は一気に砕け散った。
将来の夢が全くなくなったとき、女友達に、仲代達矢・栗原小巻主演の俳優座の舞台『令嬢ジュリー』に誘われ、「新劇って凄い」と感激、演劇の世界に目覚める。
進路を役者に定め、高校卒業後日本大学藝術学部に入学。
1965年に中退。
劇団民藝へ入団するが、名優目白押しの民藝ではいい役は付かず、地方公演で先乗りして、大道具の準備が主な仕事だった。
ある日、日生劇場での『アンネの日記』の公演で、アンネの部屋係に就いていたとき、下元勉が倒れ、その代役に抜擢される。
主役のアンネ役の樫山文枝から「いい声してるわね」などと褒められた。
やがて「樫山がやくざ風の男と歩いていた」と騒がれ始め、二人の結婚が決まると世間が驚いた。
当時の綿引は全くの無名俳優で、弾き語りのアルバイトで生計を立てていて、収入は雲泥の差だった。
異色カップルにCMなど夫婦共演が多数企画されたが、綿引 ……

綿引勝彦さんが誕生してから、78年と363日が経過しました。(28853日)
亡くなってから、3年と326日が経ちました。(1422日)
27431日間 生きました。

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