小島弘務こじまひろむ
元プロ野球選手[日本]
1967年 10月30日 生 (満57歳)
小島 弘務(こじま ひろむ、1967年10月30日 - )は、京都府乙訓郡大山崎町出身の元プロ野球選手(投手)。
2022年から浜松開誠館高等学校のコーチを務める。
来歴・人物=
平安高では江坂政明とともに投の二本柱として活躍。
1984年秋季府大会準決勝に進むが、北村俊介のいた大谷高に惜敗。
翌1985年夏の府大会は決勝に進出、江坂が先発するが花園高に敗退。
高校の2学年後輩に桧山進次郎がいた。
高校卒業後は駒澤大学に進学するが、先輩からの説教などが続くことから中退を決意。
太田誠監督(当時)からの慰留もあったが、1年時の夏に中退した。
その後は、1年間アルバイトしながら野球のできるところを探し、同級生の親が勤務していた縁で社会人野球の住友金属(和歌山県)に入社する。
1989年の都市対抗野球では松下電器に補強されたが潮崎哲也や同僚で一緒に補強の森田幸一らがいて登板はなかった。
1989年オフに西武ライオンズがドラフト外として獲得。
ユニフォーム姿の報道用写真も撮影され、1990年版の選手名鑑のうち発刊時期の早かったものでは「即戦力」として掲載されていた上、キャンプにも参加して阪神タイガースとの二軍の練習試合にも登板している。
しかし、この入団方法に疑問が呈された結果、大学中退者でありながら、在学期間が短い関係上住友金属と日本野球連盟には高卒扱いで登録されていたため、「高卒の社会人野球選手は3年間プロ入りできない」という野 ……
小島弘務さんが誕生してから、57年と23日が経過しました。(20842日)