町村信孝まちむらのぶたか
政治家[日本]
1944年 10月17日 生
2015年 6月1日 死去脳梗塞享年72歳
町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年〈昭和19年〉10月17日 - 2015年〈平成27年〉6月1日)は、日本の通産・経産官僚、政治家。
衆議院議長(第75代)、内閣官房長官(第75代)、拉致問題担当大臣(福田康夫内閣)、外務大臣(第130・131・134代)、文部科学大臣(初代)、文部大臣(第124・129代)、科学技術庁長官(第62代)、原子力委員会委員長(第62代)、内閣総理大臣補佐官(教育改革担当)、衆議院議員(12期)を歴任した。
なお、名前の表記についてはこちらを参照のこと。
来歴=
生い立ち=
静岡県沼津市に内務官僚・町村金五の次男として生まれた。
町村家は、父・金五が静岡県水産課長時代からの縁で、沼津市郊外にあった静岡県原町漁業組合長植松与三郎の別宅に疎開していた。
東京学芸大学附属世田谷小学校、東京学芸大学附属世田谷中学校、東京都立日比谷高等学校を経て東京大学経済学部卒業。
体格は、小学4年生の時点で身長1m60cm・体重60kgあり、相撲大会で優勝したこともあって、相撲部屋から勧誘されたことがある。
高校ではラグビー部に入り、早稲田、慶應から勧誘された。
町村の東大在学中は東大紛争の真っ只中であり、ノンポリ学生のリーダーの一人として、東大紛争終結のための学生運動を率いた。
大学3年時に、サンケイ新聞社奨学金を受けて米国コネティカット州ウェズリアン大学に留学。
1968年(昭和43年)11月、東大経済学部ストライキ実行委員会の一人としてお ……
町村信孝さんが誕生してから、80年と13日が経過しました。(29233日)
亡くなってから、9年と152日が経ちました。(3439日)
25794日間 生きました。