生年月日データベース

石井輝男いしいてるお

映画監督脚本家[日本]

1924年 1月1日

2005年 8月12日 死去肺がん享年82歳
石井輝男 - ウィキペディアより引用

石井 輝男(いしい てるお、1924年〈大正13年〉1月1日 - 2005年〈平成17年〉8月12日)は、日本の映画の監督、脚本家である。
本名:北川 輝男(きたがわ てるお)。
東宝に撮影助手として入社。
新東宝で『女体桟橋』などの佳作を発表した後東映に移り、高倉健主演の『網走番外地シリーズ』が連続でヒット作となった。
東映のヒットメーカーの一人であり、1968年(昭和43年)より東映ポルノと呼ばれる一連の作品を発表した。
また、松竹や日活でも作品を発表している。
1970年代までにポルノとアクション映画を量産した。
ただ石井輝男はエロスだけの監督ではなく、前衛舞踏の土方巽を登場させるなど、表現規制を打ち破ること、芸術志向と娯楽作品が同居した監督だった。
1990年代はつげ義春・江戸川乱歩の世界へ傾倒した。
人物= 東映プロデューサーの天尾完次は「石井は同じ東宝出身の黒澤明の対極に位置する」と評している。
東宝時代は撮影助手に従事していたが、東宝争議にともなう新東宝への移籍と同時に助監督になった。
渡辺邦男、成瀬巳喜男、清水宏などの助監督に付く。
また、田中絹代監督作品の助監督もした。
娯楽映画を量産していた渡辺からは早撮りを習い、清水からは脚本を学んだものの、助監督時代は成瀬に大きな影響を受けており、成瀬調の作品の企画を会社に出していたが全て却下されたという。
成瀬の助監督時代に、成瀬作品の産みの親である脚本家の水 ……

石井輝男さんが誕生してから、100年と295日が経過しました。(36820日)
亡くなってから、19年と71日が経ちました。(7011日)
29809日間 生きました。

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