生年月日データベース

加藤泰かとうたい

映画監督脚本家[日本]

1916年 8月24日

1985年 6月17日 死去享年70歳
加藤泰 - ウィキペディアより引用

加藤 泰(かとう たい、1916年〈大正5年〉8月24日 - 1985年〈昭和60年〉6月17日)は日本の映画監督、脚本家。
本名:泰通(やすみち)。
兵庫県神戸市生まれの愛知県名古屋市育ち。
時代劇や任侠映画の名監督として活躍。
代表作に『沓掛時次郎 遊侠一匹』、『瞼の母』、『明治侠客伝 三代目襲名』、『真田風雲録』、『緋牡丹博徒シリーズ』、『江戸川乱歩の陰獣』がある。
家族= 山中喜三右衛門(母方の祖父) 加藤郷里(父親・貿易商)。
山中トモ(母親) 山中貞雄(母方の叔父・映画監督) 加藤榮(妻・スプリクター) 加藤文(長女・脚本家、小説家) 来歴= キネマ旬報社『キネマ旬報』第430号(1967)より 『沓掛時次郎 遊侠一匹』(1966年) 神戸で貿易商の家に生まれるが、父の商売が失敗し、五歳頃、父の郷里、名古屋の祖父に預けられる。
上京していた父は関東大震災で名古屋に逃げ帰り、やがて商社に勤める。
父からは商業学校進学を勧められるが、進路を極められてしまうことに耐えられず、工業学校で折れ合う。
愛知県立工業学校機械科に入学するが、2年時の1930年5月に観た伊藤大輔の『続大岡政談・魔像篇第一』に熱狂、映画の魅力に取りつかれる。
工業学校を2年で中退し、いったん京都の貿易会社に入るが、映画への情熱さめやらず、1937年、PCL入社のために上京していた叔父の山中貞雄を頼り上京。
同年、山中の出征後、東宝撮影所に入社した。
いわゆるコネ入社であっ ……

加藤泰さんが誕生してから、108年と67日が経過しました。(39514日)
亡くなってから、39年と135日が経ちました。(14380日)
25134日間 生きました。