生年月日データベース

若山富三郎わかやまとみさぶろう

俳優歌手[日本]

1929年 9月1日

1992年 4月2日 死去急性心不全享年64歳
若山富三郎 - ウィキペディアより引用

若山 富三郎(わかやま とみさぶろう、1929年〈昭和4年〉9月1日 - 1992年〈平成4年〉4月2日)は、日本の俳優・歌手・映画監督。
別芸名は城 健三朗(じょう けんざぶろう)。
映画・テレビ映画・演劇で幅広い役柄を演じ、特に殺陣は当代随一の名手と評された。
本名:奥村 勝(おくむら まさる)。
東京府東京市深川区出身。
父は長唄三味線の杵屋勝東治、弟は勝新太郎、息子は若山騎一郎、元妻は藤原礼子、甥は俳優の鴈龍。
生涯= 幼少の頃より弟の勝新太郎とともに長唄の修行を始める。
旧制日大三中在学中は1年生を3回落第するほど素行に問題があった。
長唄の修行よりも柔道に熱中して師範(伍段)を目指していたといい、「あたしは柔道教師になろうと思ったんです...ええ、講道館の四段で、間もなく五段になるところでした」と語っている。
1949年、20歳のときに長唄の和歌山富十郎に弟子入りし、芸名を若山 富三郎とした。
1954年に新東宝からスカウト、演技経験のない新人としては破格の高給と、運転手付きの車での送迎を約束させた上で入社を決める。
前列中央。
右横は藤原礼子。
1955年に『忍術児雷也』でデビュー。
『人形佐七捕物帖』シリーズなどの時代劇に主演。
1958年には『銭形平次捕物控』に主演。
新東宝が経営不振に陥ると1959年に東映へ移籍し、新東宝時代同様に『人形佐七捕物帖』シリーズで主演した他、多くの脇役もこなす。
1962年に大映へ移籍、城 ……

若山富三郎さんが誕生してから、95年と47日が経過しました。(34746日)
亡くなってから、32年と199日が経ちました。(11887日)
22859日間 生きました。