生年月日データベース

沢村豊子さわむらとよこ

三味線奏者[日本]

1937年 2月25日

2025年 6月18日 死去敗血症享年89歳

沢村 豊子(さわむら とよこ、1937年2月25日 - 2025年6月18日)は、曲師。
福岡県出身。
国友忠の相三味線を長く務め、ラジオでの連続浪曲「銭形平次」で一躍有名になる。
近年では国本武春、玉川奈々福の相三味線で有名。
日本浪曲協会所属。
来歴= 幼少の頃より芸事が好きであり、10歳の頃より藤間流・坂東流などの日本舞踊を習い、将来も舞踊の師匠になるのを望んでいたが、「踊りの師匠になるには細三味線くらい弾けなければならない」と父に勧められ、端唄の三味線も習う事となった。
当時、浪曲界の大看板・二代目天中軒雲月(後の伊丹秀子)の弟子筋であった浪曲師・佃雪舟が全国巡業で近所の佐賀劇場に出演していた折、周囲に連れられ楽屋で三味線を弾いてみたところ「音締めが良く、筋の良い女の子がいる」と見込まれ、相三味線(専属の三味線弾き)を探していた佃雪舟に東京行きを誘われる。
浪曲について何も知らず、見た事も聴いた事も無かったが、「東京に行けば立派な踊りの師匠になれる」と思い、12歳の時に上京。
浅草で名曲師・山本艶子のもとに通い浪曲三味線の厳しい修業を始める。
毎朝の稽古と毎回一席舞台のおさらい、帰宅後も佃雪舟との厳しい稽古が続き、実家に帰りたい気持ちであったが、当時は新幹線も無く逃げ出す事も出来ず、日々の修業に耐え忍んだ(佃雪舟からは稽古以外では子供のように可愛がられたという)。
その後、佃雪舟の相三味線として ……

沢村豊子さんが誕生してから、88年と123日が経過しました。(32265日)
亡くなってから、10日が経ちました。
32255日間 生きました。

推定関連画像