天中軒雲月てんちゅうけんうんげつ
浪曲師・五代目[日本]
1953年 11月25日 生 (満70歳)
天中軒 雲月(てんちゅうけん うんげつ)は浪曲の名跡。
当代は5代目。
初代と四代が男性、二代・三代・五代が女性と、男女が交互に襲名している、芸の世界でも極めて珍しい名跡である。
初代=
天中軒 雲月(1895年3月 - 1945年4月6日)本名は原田定治。
九州佐賀県の生まれ、10歳で浪曲の世界入り、12歳で早川勘之助(原田宝山)の門下で養子になり名前を浪曲界の大家桃中軒雲右衛門に因んで天中軒雲月を拝命。
天才少年浪曲師として九州一帯で名を馳せる。
1912年(明治45年)、両国国技館での二六新報社主催の独演会を開く。
初代木村重友、東家楽燕、3代目鼈甲斎虎丸と共に浪曲四天王の一人として活躍。
余芸で米山甚句や都々逸を響かせた。
1926年8月20日、ラジオが三局時代から、日本放送協会発足当時に出演した「赤穂義士伝」のうち「神崎東下り」 。
得意は「赤穂義士伝」「佐倉義民伝」など。
1931年、地方巡業中に脳病で倒れ、長い療養生活を送る。
墓所は佐賀県唐津市松雲寺。
その療養生活を支えた妻は、日本浪曲協会から表彰された。
ラジオ出演=
1926年8月20日、ラジオが三局時代から、日本放送協会発足当時に出演した「赤穂義士伝」のうち「神崎東下り」。
他。
2代目=
天中軒 雲月(1909年10月14日 - 1995年10月28日)本名は伊丹とめ。
6歳の時に藤原朝子(ともこ)の名で初舞台。
1922年には座長。
当時、役柄により声色を老若男女巧みに使い分ける「七色の声 ……
天中軒雲月さんが誕生してから、70年と361日が経過しました。(25929日)