今井雄太郎いまいゆうたろう
元プロ野球選手[日本]
1949年 8月4日 生 (満75歳)
今井 雄太郎(いまい ゆうたろう、1949年8月4日 - )は、新潟県長岡市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、タレント。
史上14人目で昭和最後、史上初の指名打者制度での完全試合達成者。
経歴=
中越高校ではエースとして活躍。
1967年夏の甲子園予選北越大会で準決勝に進むが、吉岡悟を打の中軸とする富山商に完封負け。
卒業後は新潟鉄道管理局(現:JR東日本新潟支社)に入社。
新潟鉄道管理局時代は野球部といっても特別扱いはされず、他の職員と同じように勤務し、今井の仕事は操車場で貨車の連結を行う係であった。
1970年日本産業対抗野球大会の国鉄部門予選では決勝に進むが、鹿児島鉄道管理局に敗退。
今井によるとこの予選でたまたま好投したため、スカウトの目にとまったのだという。
1970年のドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。
“ノミの心臓”と呼ばれるほど気が弱く、また極度のあがり症であったため、二軍では好投するものの一軍ではなかなか結果が出せず、プロ入りから5年間で2勝しか挙げられなかった。
初先発した1972年5月18日の対南海戦では、2回の二死満塁からトリプルスチール(三塁走者は野村克也)を決められる経験もしている。
しかし、1974年から投手コーチに就任していた梶本隆夫がその無類の酒好きに目をつけ、1978年5月4日、大阪スタヂアムでの南海戦で紙コップ入りのビールを飲ませてからマウンドにあげたところ、それまでとは別人のような好投 ……
今井雄太郎さんが誕生してから、75年と109日が経過しました。(27503日)