川本三郎かわもとさぶろう
文芸評論家[日本]
1944年 7月15日 生 (満80歳)
川本 三郎(かわもと さぶろう、1944年7月15日 - )は、日本の評論家、翻訳家。
読売文学賞、サントリー学芸賞(社会・風俗部門)選考委員。
東京都渋谷区代々木山谷町(現:代々木4丁目)出身。
来歴・人物=
熊本県出身の内務官僚の第5子として生まれる。
1945年5月25日の空襲で代々木の実家が焼失、同年8月、広島に単身赴任していた父が原爆投下で死去した。
戦後は杉並区阿佐谷北で育つ。
当時の家は小島烏水が建てた大きな洋館で、隣家にはロシア文学者中山省三郎が住み、その向かいには英文学者の田部重治がいた。
麻布中学校・高等学校から1年間の浪人生活を経て東京大学に入学。
1968年、東京大学法学部政治学科を卒業後、同大学院に在籍しつつ、一年間の就職浪人生活を送る。
二度目の受験で朝日新聞社に入社し、出版局に配属された。
『週刊朝日』編集部在職中、1971年2月、京浜安保共闘を自称する菊井良治(日本大学文理学部哲学科在学中)を取材。
菊井が宮沢賢治について語り、ギター片手にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「雨を見たかい」を歌う姿に接して、個人的なシンパシーを持つに至る。
1971年5月、人事異動で『朝日ジャーナル』記者となった後も菊井と密接に交際し、1971年8月21日に菊井らが赤衛軍を名乗って朝霞自衛官殺害事件を起こした際も、この犯罪を事前に取材し、犯行後にも菊井に金を渡すなどの便宜を図る。
このとき川本は、赤衛軍の ……
川本三郎さんが誕生してから、80年と93日が経過しました。(29313日)