生年月日データベース

大山健二おおやまけんじ

俳優[日本]

1904年 2月8日

1970年 死去享年67歳
大山健二 - ウィキペディアより引用

大山 健二(おおやま けんじ、1904年2月8日 - 1970年)は、日本の俳優である。
本名は大山 健治(おおやま けんじ)。
1920年代から1930年代にかけての松竹蒲田撮影所、松竹大船撮影所の映画において、大柄な体格にお人よしの学生がハマリ役であり、その姿は「松竹の青春娯楽映画の好ましい彩り」と評された。
人物・来歴= 1904年(明治37年)2月8日、福島県田村郡三春町に生まれる。
姉の孫にあたる人物に高崎俊夫がいる。
旧制小学校を卒業後、両親とともに日本統治時代の朝鮮の京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)に移り、旧制・京城薬学専門学校(現在のソウル大学校薬科大学)を卒業し、病院に勤務した。
同校卒業後、東京に移り、1925年(大正14年)、東京の松竹蒲田撮影所が「俳優募集」をしていることを知り、これに応募して、同撮影所の研究所に入る。
同研究所卒業後、同社に入社、翌1926年(大正15年)3月12日に公開された大久保忠素監督のサイレント映画『愛の力は雪でも溶す』に出演して、映画界にデビューした。
1932年(昭和7年)1月9日、若水絹子、澤蘭子、江川宇礼雄、飯塚敏子、富士龍子とともに準幹部に昇格、同年1月29日に公開された成瀬巳喜男監督の『女は袂を御用心』で主演した。
1936年(昭和11年)1月15日、同撮影所は、全機能を神奈川県鎌倉郡大船町(現在の同県鎌倉市大船)に新設された松竹大船撮影所(現存せず)に移転、それにともなって、大山も異動した。
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大山健二さんが誕生してから、120年と287日が経過しました。(44117日)

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