ヴァヒド・ハリルホジッチVahid Halilhodžić
サッカー監督[ボスニア・ヘルツェゴビナ→フランス]
1952年 5月15日 生 (満72歳)
ヴァイッド・ハリルホジッチ(セルビア語: Vahid Halilhodžić, セルビア語キリル・アルファベット: Вахид Халилхоџић, ボスニア語発音: [ʋȃ:xid xǎlilxodʒitɕ], 1952年5月15日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の元サッカー選手。
サッカー指導者。
元ユーゴスラビア代表(現在はボスニア・ヘルツェゴヴィナ国籍以外にフランス国籍も取得)。
選手としてはディヴィジオン・アン(現リーグ・アン)で、1982-83, 1984–85シーズン得点王2回。
1976年欧州選手権、1982年ワールドカップに出場した。
監督としては複数のクラブチームの他、コートジボワール代表、アルジェリア代表、日本代表、モロッコ代表と4カ国の代表チームを指揮し、いずれの国もFIFAワールドカップ本大会出場に導きながらも、アルジェリア代表以外の3ヶ国では本大会直前に代表を解任されるという経歴を持つ。
生い立ち=
6人兄弟の第4子として生まれ、名字の由来は「親友(ハリル)」「指導者の子孫(ホジッチ)」。
近所にあったサッカースタジアムが少年時代のヴァイッドの遊びの場となる。
14歳時、将来エンジニアとしての電気工学修学目的でモスタルへと移住、両親の近くで生計を立てようかと考えていたが8歳年上だった実兄のサレムがプロとして成功し弟ヴァイッドをフットボールに誘い、地元フットボールクラブ「ジュニオール・ヴェレジュ・モスタル」に加入。
18歳時、進路の決定を迫られFKヴェレジュ・モスタ ……
ヴァヒド・ハリルホジッチさんが誕生してから、72年と190日が経過しました。(26488日)