長谷川昌幸はせがわまさゆき
プロ野球選手[日本]
1977年 7月16日 生 (満47歳)
長谷川 昌幸(はせがわ まさゆき、1977年7月16日 - )は、茨城県神栖市出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴=
プロ入り前=
市立銚子高時代には、2年秋県大会ベスト8。
PL学園の福留孝介、南京都高校の斉藤和巳とともにドラフトの注目株とされ、投手では星野智樹(四日市工)を含めてビッグ3と呼ばれた。
3年夏は県大会初戦で14奪三振を記録したが4回戦で敗れた。
2番手投手に窪田淳がいた。
1995年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受けて入団。
広島時代=
1997年8月10日の対阪神戦(広島市民球場)でプロ初登板初先発勝利を収める。
2001年には9勝(対阪神に対して5勝)を挙げ、期待の若手投手として頭角を表す。
2002年は細身の体から投げ込むストレートと切れ味鋭いカーブを武器に自己最多・チームトップの13勝を挙げる。
また、この年に引退したヤクルト・池山隆寛の現役最終打席の際にマウンドに立ち、空振り三振に打ち取っている。
2003年シーズンはエース黒田博樹に続く投手として期待されたが春先に扁桃腺炎を患って活躍できず、この年以降、故障と不調に苦しむこととなる。
2004年も右手甲の故障と2年連続で出遅れた。
2005年シーズンは入団当時からの背番号19から、「メジャーっぽいから」との理由で、日本人選手は「死に番」として敬遠し、アメリカではジャッキー・ロビンソンのつけていた番号として全球団で永久欠番となっている42に変更。
2006年シーズ ……
長谷川昌幸さんが誕生してから、47年と128日が経過しました。(17295日)