石毛博史いしげひろし
元プロ野球選手[日本]
1970年 7月13日 生 (満54歳)
石毛 博史(いしげ ひろし、1970年7月13日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
経歴=
市立銚子高では、2年生の時、1987年夏に行われた千葉大会準決勝に進むが、東海大浦安高に7回コールドで敗退。
秋は県大会準優勝したが、関東大会で初戦敗退。
ドラフト会議前には読売ジャイアンツから打診があったが、結局指名はなく内定していた社会人野球の住友金属鹿島へ進むことを決意するも、城之内邦雄スカウトから接触があり、1988年オフにドラフト外で巨人に入団。
巨人時代=
肘の故障があったため、専らリリーフ投手として活躍。
東京ドームで行われた1990年のジュニア日本選手権で中日ドラゴンズの清水雅治にサヨナラ本塁打を浴びている。
1992年、宮田征典投手コーチに「故障で長いイニングは持たないが、連投の効く体質を見出され(本人談)」、藤田元司監督に抑え投手としての適性を見出され、123奪三振、防御率1.32の好成績を収める。
1993年には最高速154km/hの荒れ球のストレート(故障で肘が曲がっていることによる)とフォークボール・スライダーを武器に当時の球団記録となる30セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得。
1994年にもリーグ最多の19セーブを挙げる(高津臣吾と同数。
最優秀救援投手は8勝19セーブを挙げた高津)。
1993年から1994年にかけて、当時の監督であった長嶋茂雄は、セットアッパー橋本清と共に、勝ちパターンのリリーフコン ……
石毛博史さんが誕生してから、54年と132日が経過しました。(19856日)