生年月日データベース

小野田嘉幹おのだよしき

映画監督[日本]

1925年 7月12日 生 (満99歳)

小野田 嘉幹(おのだ よしき、1925年7月12日 - )は、日本の映画監督、脚本家。
弟は平田昭彦、妹は音羽美子。
妻は三ツ矢歌子(2004年死別)。
人物・来歴= 1925年(大正14年)7月12日、東京府東京市(現在の東京都)に「小野田正彦」として生まれる。
誕生後に朝鮮(現在の大韓民国)に渡り、2年後の1927年(昭和2年)12月16日には京城府(現在のソウル特別市)で弟の昭彦が生まれている。
さらに5年後の1932年(昭和7年)7月6日には妹の和子(のちの音羽美子)が生まれている。
東海科学専門学校(現東海大学)卒業後、1947年(昭和22年)に新東宝助監督部に入社した。
本名の「小野田正彦」で、黒澤明、稲垣浩、並木鏡太郎、冬島泰三らの作品で助監督を務め、1958年(昭和33年)、富士映画製作、若山富三郎主演の中篇映画『楠公二代誠忠録』で監督としてデビュー、同年、現在の「小野田嘉幹」に改名し、『人喰海女』を監督した。
翌年5作、さらに翌々年の1960年(昭和35年)には4作を監督し、同年12月8日、『人喰海女』や『女奴隷船』にも出演した同社の女優・三ツ矢歌子と結婚した。
1961年(昭和36年)8月31日に会社が解散、翌日同社を分社化した配給会社・大宝が設立されると、新東宝のプロデューサーだった佐川滉の佐川プロダクションで『黒い傷あとのブルース』を撮ったが、翌年には大宝が業務停止に陥り、小野田は以降、フリーランス・ディレクターとなり、同年からテレビ映画の監督に専 ……

小野田嘉幹さんが誕生してから、99年と132日が経過しました。(36292日)

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