藤井裕久ふじいひろひさ
政治家[日本]
1932年 6月24日 生
2022年 7月10日 死去享年91歳
藤井 裕久(ふじい ひろひさ、1932年〈昭和7年〉6月24日 - 2022年7月10日[18][19])は、日本の政治家、元大蔵官僚[20]。
参議院議員(2期)、衆議院議員(7期)。
大蔵大臣(第98・99代)、財務大臣(第12代)、内閣官房副長官[21]、内閣総理大臣補佐官[22]、自由党幹事長兼政策調査会長、民主党幹事長[23]、民主党代表代行[24]、民主党最高顧問[25]を歴任。
位階は正三位[26]。
勲等は旭日大綬章。
生涯=
生い立ち=
東京府東京市本郷区生まれ。
父は広島県深安郡千田村出身で東京大学医学部卒業の内科医[27]。
藤井は次男[27]。
戦時中は本郷弓町に在住しており[28]ドーリットル空襲を「目撃」している[29][30]。
東京女子高等師範学校附属国民学校(現:お茶の水女子大学附属小学校)、東京高等師範学校附属中学校・高等学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、東京大学法学部公法学科を卒業。
東京高師附属中・高時代は野球部に所属[31]。
チームは戦後すぐの1946年(昭和21年)に東京都大会を勝ち上がり全国中等学校野球大会(甲子園大会[32])に出場し[31]、準決勝で敗退した際に土を持ち帰ったことが[33]その後の伝統の嚆矢となった[34]が、当時旧制中学3年で特別科学学級に在籍していた藤井はベンチ入りできなかった。
官僚として=
東京大学卒業後、大蔵省(現財務省)に入省[ ……
藤井裕久さんが誕生してから、92年と150日が経過しました。(33753日)
亡くなってから、2年と134日が経ちました。(865日)
32888日間 生きました。