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苫篠誠治とましのせいじ

プロ野球選手、コーチ[日本]

1964年 6月22日 生 (満60歳)

苫篠誠治 - ウィキペディアより引用

笘篠 誠治(とましの せいじ、1964年6月22日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、プロ野球コーチ、野球解説者。
現役時代は西武ライオンズに在籍した。
経歴= プロ入り前= 上宮高校では1年生の秋から三塁手のレギュラーとなる。
エース柚木文雄(同志社大)を擁し1981年春の選抜に出場。
準決勝に進むが印旛高の佐藤文男に抑えられ敗退。
同年の春季近畿大会でも決勝に進むが、エース西川佳明、吉村禎章や若井基安を打の主軸とするPL学園に敗れる。
その後は府予選で敗れ、甲子園出場は叶わなかった。
3年生時は主将としてチームを率いる。
高校の1学年下に光山英和、2学年下に江本晃一、実弟の笘篠賢治がいた。
1982年のドラフトで西武ライオンズから2位指名されて入団。
ドラフト前、上宮高校野球部監督のツテで明治大学野球部のセレクションを受け入部が内定していたが、高校時代に12球団中唯一スカウトとの接触が無かった西武の指名に大変驚いたという。
現役時代= 1983年の前半戦終盤に早くも一軍昇格するも、秋山幸二をはじめとしたトッププレイヤーとの実力差を痛感、一ヶ月半後に降格を命じられた時は心から安堵したという。
しかし早くから一軍でプレイする中で、主力選手も打球判断が1テンポ遅れる時がある事を見抜き、守備や走塁を磨けば出場機会を得られると考えるようになった。
1985年はアメリカマイナー1A級・カリフォルニアリーグの ……

苫篠誠治さんが誕生してから、60年と153日が経過しました。(22068日)

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