大月みやこおおつきみやこ
歌手[日本]
1946年 4月23日 生 (満78歳)
大月 みやこ(おおつきみやこ、1946年4月23日 - )は、日本の演歌歌手。
本名、脇田節子。
来歴=
大阪府八尾市出身。
大阪府立八尾高等学校卒業。
謡を嗜む父と、日本舞踊の好きな母の間にひとり娘として生まれる。
小学生時代は、両親へ頼み込み、歌謡学校のレッスンを10年近く受けていた。
当時、大月本人は歌手を志していなかったが、歌謡学校がキングレコードへ受講生のデモテープを郵送しており、キングレコードよりテストをスカウトされ、東京へと呼ばれる。
3月末上京、4月の初めにレコーディング、6月デビューとトントン拍子でデビューとなり、「当時『歌手になるなんてこんなに簡単な事なんだな』と思ってしまった。
」と大月は語っている。
芸名はデビュー当時の大阪の有名レコード店である「大月楽器店」と「ミヤコ」にちなんで名づけられた。
1964年、『母恋三味線』にてデビュー。
三橋美智也と春日八郎の前座にて全国行脚の日々を送る。
多忙な時は月25日のスケジュールをこなしたが、
「大勢のお客さんの前で歌ってお客さんに拍手してもえて、毎日が楽しくて仕方がなかった。
」と語っている。
デビューから足掛け20年目、37歳で『女の港』がヒット。
第37回NHK紅白歌合戦(1986年)初出場を果たす。
大月が紅白初出場を果たした第37回の紅白では、同じ年にデビューした水前寺清子は22回目の出場で、デビュー22年目にして檜舞台の紅白に登場した大月を激励し ……
大月みやこさんが誕生してから、78年と212日が経過しました。(28702日)