中田ボタンなかたぼたん
漫才師、中田カウス・ボタン[日本]
1948年 4月12日 生 (満76歳)
中田 カウス・ボタン(なかた カウス・ボタン)は、日本の漫才コンビ。
所属事務所は吉本興業大阪。
コンビ結成は1967年3月。
なんばグランド花月劇場(NGK)でトリをとるベテランである。
メンバー=
中田 カウス(なかた カウス、1949年6月29日 - )(75歳)
ボケ担当。
本名:野間 勝道。
愛媛県越智郡伯方町(現今治市)出身。
伯方島で代々菓子店を営む家の長男に生まれる。
郷里に来た旅芸人が行う漫才を見て漫才師に憧れ、中学卒業後、大阪市内の織物会社に入社するも退職。
横山エンタツに弟子入りを志願するも「引退している」という理由で断られ、暁伸のもとを訪ねたところ、音楽ショウのあひる艦隊を紹介され、ボーヤとなる。
その後、上方柳次・柳太への入門が叶うも、相方候補が廃業したためにデビューを一時断念し、大阪市内のバーでバーテンダーとして働いた。
そのバーに中田ダイマル・ラケットのダイマルが来店。
カウスが入門を直訴したところ、門下の中田チャック(のちの中田アップ)を紹介され、アップへの入門によって再び芸界入りを果たした(この経緯から、カウスは自身を「ダイマルの弟子」と公言している)。
2002年から2010年までM-1グランプリ決勝戦の審査員を務めており、回数では松本人志(ダウンタウン)に次ぐ9回。
出演者のチェックは予選から行っており、2005年1回戦では、舞台袖ではなく客席側からチェックしているカウスの姿が目撃されて ……
中田ボタンさんが誕生してから、76年と223日が経過しました。(27982日)