生年月日データベース

中田ダイマルなかただいまる

漫才師、中田ダイマル・ラケット[日本]

1913年 12月14日

1982年 9月5日 死去享年70歳

中田ダイマル・ラケット(なかたダイマル・ラケット)は、大阪を中心に活躍した漫才コンビである。
出囃子『拳の三味線』。
太平洋戦争後の上方漫才を代表する兄弟コンビ。
「爆笑王」の異名をとった。
愛称は「ダイラケ」。
メンバー= 中田ダイマル(本名:中田 勇夫、1913年(大正2年)12月14日 - 1982年(昭和57年)9月5日)兵庫県川辺郡小田村(現在の尼崎市)金楽寺生まれ。
中田ラケット(本名:中田 信夫、1920年(大正9年)3月3日 - 1997年(平成9年)2月5日)兵庫県川辺郡小田村金楽寺生まれ。
来歴= 実家は農家で男6人女6人の12人兄弟でダイマルは7人目の三男、ラケットは10人目の六男だった。
ダイマルは1923年に小田第一尋常高等小学校(現在の尼崎市立下坂部小学校)を中退した。
1926年に近所の大阪製麻に就職し、後に職を転々とする。
1930年に扇子屋玉四郎一座の芸人・塚口四郎がマキノ・プロダクションに入ったことを知って映画俳優を志し、家を出た。
しかし、結局俳優を断念する。
漫才の世界へ入り、兄と中田松王・梅王という漫才コンビを結成した。
後に中田デパート・ダイマルと改名し1934年に天神橋五丁目の「葵席」で初舞台を踏む。
当時歌や三味線もこなせたデパートは音曲漫才指向で、ダイマルが憧れた横山エンタツ・花菱アチャコのようなしゃべくり漫才にはまったく関心がなかった。
それでも「四、五年」(ダイマル)は続いたという。
1941年に兄が結核 ……

中田ダイマルさんが誕生してから、110年と342日が経過しました。(40520日)
亡くなってから、42年と77日が経ちました。(15418日)
25102日間 生きました。

推定関連画像