生年月日データベース

上川誠二かみかわせいじ

プロ野球選手、コーチ[日本]

1960年 3月27日 生 (満64歳)

上川誠二 - ウィキペディアより引用

上川 誠二(かみかわ せいじ、1960年3月27日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物= プロ入り前= 和歌山県立箕島高等学校では1977年(昭和52年)、エース東裕司(三菱自動車水島)を擁し二塁手として第49回選抜高等学校野球大会に出場。
準決勝で山口哲治のいた智弁学園を降し決勝に進出。
東が中村高の山沖之彦との投げ合いを制し、7年ぶりの優勝を飾る。
春夏連覇の期待もかかったが、夏は県予選決勝で田辺高の木下透に完封負け。
同年が最後の開催となった奈良県勢との紀和大会にも進めなかった。
1年下のチームメートに石井雅博がいた。
高校卒業後、三協精機に進み、1年目で都市対抗に出場するも、入社1年目にして不況により野球部が休部となる。
映写機のネジ締め作業を3か月行った後、大昭和製紙へ移る。
1980年、1981年(昭和56年)と都市対抗に連続して出場するが、同年の冬にまたもチームが休部となる。
これを入団時にマスコミは「二度死んだ男」と言った。
既に同年のドラフト会議も終わっており、阪急ブレーブスと中日ドラゴンズから入団の打診があり、ドラフト外で中日ドラゴンズに入団。
プロ入り後= 1982年(昭和57年)2月6日の守備練習中にイレギュラーボールが下顎に当たり、顎を亀裂骨折、前歯1本欠損、残る歯もほぼ折れる怪我をしてしまう。
しかし、数日後には、顎にブリッジをかけ包帯で包み、歯が取れかけていたので針金で強く巻 ……

上川誠二さんが誕生してから、64年と254日が経過しました。(23630日)