太田幸司おおたこうじ
元プロ野球選手、解説者[日本]
1952年 1月23日 生 (満72歳)
太田 幸司(おおた こうじ、1952年1月23日 - )は、青森県三沢市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、スポーツキャスター、日本女子プロ野球機構スーパーバイザー。
経歴=
アメリカ軍人男性と青森市の日本人女性との間に生まれたといわれる。
3歳のとき三沢基地の軍属をしていた日本人男性と白系ロシア人女性の夫妻の養子となり、一人っ子として育つ。
養母に関しては、ラジオ番組の中でスラヴ人ではなくフランス人の子孫だと明かしている。
高校時代=
三沢高校在学中に、野球部のエースとして1968年夏、1969年春・夏と阪神甲子園球場で行われた選抜高等学校野球大会・全国高等学校野球選手権大会に3大会連続出場を果たした。
2年秋は東北大会準決勝で延長15回を完投勝利して決勝では八重樫幸雄が4番を打つ仙台商に完投して優勝。
明治維新百年記念明治神宮野球大会ではベスト4。
特に1969年夏は、東北勢としては戦後初の決勝進出を果たした。
その決勝戦、松山商業戦に2日間の熱投が行われた。
1日目は、三沢は満塁サヨナラの好機を2回も逃すなどもあり、延長18回(試合時間:4時間16分)を戦い抜いて0-0の引き分けとなった。
太田はこの試合を1人で投げ抜いた(投球数:262球。
松山商のエース・井上明(のち朝日新聞記者。
高校野球担当)も一人で232球を投げ抜いている)。
再試合となった2日目の試合も全イニングを投げたが、2-4で敗戦。
決勝戦計27イニング、準々決勝か ……
太田幸司さんが誕生してから、72年と303日が経過しました。(26601日)