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徳川綱吉とくがわつなよし

江戸幕府第5代将軍[日本]

(正保3年1月8日生)

1646年 2月23日

徳川綱吉 - ウィキペディアより引用

徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、上野・館林藩初代藩主、江戸幕府の第5代将軍(在職:1680年 - 1709年)。
第3代将軍・徳川家光の四男。
館林徳川家初代。
生涯 3代将軍・徳川家光の四男として正保3年(1646年)1月8日、江戸城に生まれる。
幼名は徳松(とくまつ)。
慶安4年(1651年)4月、三兄の長松(のちの徳川綱重)とともに賄領として近江、美濃、信濃、駿河、上野から15万石を拝領し家臣団を付けられる。
同月には家光が死去し、8月に長兄の徳川家綱が将軍宣下を受ける。
承応2年(1653年)8月に家綱の右大臣昇進にあわせて2人の弟は元服し、偏諱(「綱」の字)を受けて長松は綱重、徳松は「綱吉」とそれぞれ名乗った(「松平右馬頭綱吉」と松平姓を称したとされる)。
同時に従四位下・左近衛権中将・右馬頭に叙任し、同年正三位叙位。
明暦3年(1657年)、明暦の大火で竹橋の自邸が焼失したため9月に神田へ移る。
寛文元年(1661年)閏8月、25万石を与えられ上野館林藩主となる。
12月には参議に叙任され、この頃「館林宰相」と通称され、徳川姓を名乗ったと考えられる(館林徳川家の創設)。
幕府から家臣が付属されており、誕生後から館林藩主となるまで380人近くが派遣された。
寛文10年(1670年)に牧野成貞を館林藩家老3,000石に抜擢する。
館林藩主となったが、綱吉は基本的に江戸在住であって家臣の8割も神田の御殿に詰めており、生涯で館林に寄ったことは寛文3年の将軍 ……

徳川綱吉さんが誕生してから、378年と246日が経過しました。(138311日)

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