生年月日データベース

光厳天皇こうごんてんのう

北朝初代天皇[日本]

(正和2年7月9日生)

(ユリウス暦) 1313年 8月1日

(ユリウス暦) 1364年 8月5日 死去享年52歳
光厳天皇 - ウィキペディアより引用

光厳天皇(こうごんてんのう、旧字体:光嚴天皇、1313年8月1日〈正和2年7月9日〉- 1364年8月5日〈貞治3年7月7日〉)[17]は、日本の北朝初代天皇(在位:1331年10月22日〈元弘元年9月20日〉- 1333年7月7日〈正慶2年5月25日〉)[17][19]。
諱は量仁(かずひと)。
後伏見天皇(上皇)の第三皇子[注 6]。
母は左大臣西園寺公衡の娘で後伏見の女御の西園寺寧子(広義門院)[19][21]。
後醍醐天皇によって廃位されたが、建武政権崩壊後に治天の君となって北朝を主導し、室町幕府との公武徳政や『風雅和歌集』の親撰[注 7]などを行った。
天龍寺や安国寺利生塔の建立にも関与している。
正平一統が破綻した際は、南朝によって拉致された。

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