生年月日データベース

後醍醐天皇ごだいごてんのう

第96代天皇[日本]

(正応元年11月2日生)

(ユリウス暦) 1288年 11月26日

(ユリウス暦) 1339年 9月19日 死去享年52歳
後醍醐天皇 - ウィキペディアより引用

後醍醐天皇(ごだいごてんのう、1288年11月26日〈正応元年11月2日〉 - 1339年9月19日〈延元4年/暦応2年8月16日〉)は、日本の第96代天皇、および南朝初代天皇(在位:1318年3月29日〈文保2年2月26日〉 - 1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日〉、治天:1321年12月28日〈元亨元年12月9日〉 - 1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日〉)。
諱は尊治(たかはる)。
概要= 大覚寺統の天皇。
天皇による親政を理想としクーデターにより武家政権の鎌倉幕府を打倒し建武の新政を行った。
その後軍事力の中核であった実子を粛清した事と失政により失脚。
一地方政権の主として生涯を終える。
建武の新政は2年半で崩壊し、足利氏の武家政権に戻ることとなり、朝廷の支配力は鎌倉時代以上に弱まることとなる。
両統迭立により、実子に皇位を譲位できず、上皇になって院政を敷いて権力を握れなかった後醍醐天皇は、鎌倉幕府の両統迭立を壊すために、倒幕運動を行った。
元弘の乱で鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏との戦い(建武の乱)に敗れたため、大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立し、尊氏の室町幕府が擁立した北朝との間で、南北朝の内乱が勃発した。
尊氏が征夷大将軍に就任した翌年、吉野で崩御した。
先代の花園院は、後醍醐天皇を「王家の恥」「一朝の恥辱」と日記に書いている。
また、同時代の公卿からも否定的な評価を受けている。
吉田定房は後醍醐天皇 ……