近藤紘一こんどうこういち
ジャーナリスト[日本]
1940年 11月27日 生
1986年 1月27日 死去享年47歳
近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11月27日 - 1986年(昭和61年)1月27日)は、日本のジャーナリスト、作家。
サンケイ新聞編集委員。
サイゴン支局長として赴任した際にはベトナム戦争を取材し、サイゴン陥落を目撃した。
東京府出身。
来歴・人物=
祖父、父と2代続いた医師の家の長男として東京大学医学部附属病院で生まれる。
父・台五郎は、東京女子医科大学教授などを務め、ファイバースコープの開発にも貢献した。
湘南・逗子で育ち、進学した神奈川県立湘南高等学校では、万葉集などの日本の古典やサルトルなどのフランス文学に親しんだ、なかでも大河小説『チボー家の人々』に感銘を受け、早稲田大学仏文専修に入ったのも、訳者の山内義雄を慕っての選択だった。
早大キャンパスで最初の妻となる元駐仏大使萩原徹(1906 - 79)の長女・浩子と出会う。
大学の同級生で2人を知る吉川精一(NHKアナウンサー)は、「浩子さんは、『洗練されたエレガントな女性』として際立っていましたね」と語り、著作『月曜日のカーネーション』では近藤の死についても触れている。
近藤は仏文を首席で卒業し、大学院への進学を強く勧められた。
就職を選択したのは、自立して浩子との結婚に備えるためだったようで、1963年(昭和38年)春、サンケイ新聞に入社し、静岡支局勤務となり翌年12月に挙式した。
静岡勤務の折に、後々まで良きライバルとなる毎日新聞の古森義久(のち ……
近藤紘一さんが誕生してから、83年と359日が経過しました。(30675日)
亡くなってから、38年と298日が経ちました。(14178日)
16497日間 生きました。