生年月日データベース

南口繁一みなみぐちしげかず

将棋棋士[日本]

1918年 9月4日

1995年 9月22日 死去享年78歳

南口 繁一(みなみぐち しげかず、1918年〈大正7年〉9月4日 - 1995年〈平成7年〉9月20日)は、将棋棋士。
棋士番号は37。
京都府相楽郡木津町(現・木津川市)出身。
村上真一八段門下。
経歴= 1933年、初段で村上真一八段に入門。
1935年の関西奨励会創設にあたって二段で参加。
創設時の奨励会には他に大山康晴(1935年当時6級)などがいた。
大山は南口に飛車落ちで指してもらい、勝ったとはいえ大苦戦したため、「初段は強いなと子供心に思った」という。
軍隊に行ったためブランクがあったが、1944年四段、1950年八段。
1951年度の第2期九段戦で大山に挑戦するが3連敗で敗退。
1984年九段、1985年4月引退。
京都新聞の将棋欄を長く担当し、京都棋界の中心的存在として普及に尽力した。
1995年敗血症のため77歳で死去。
偶然にも、中京棋界の中心だった板谷四郎九段が亡くなる1週間前であった。
弟子= 棋士となった弟子= 名前 四段昇段日 段位、主な活躍 滝誠一郎 1968年10月01日 八段 森信雄 1976年04月05日 七段、一般棋戦優勝1回 村山聖をはじめとする森門下の棋士及び阿久津主税(滝の弟子)は孫弟子にあたる。
加藤一二三も入門当初は南口門下であったが、1998年に自ら申し出て、剱持松二門下に変わっており、現在の加藤一二三の公式プロフィールから南口の名は消えている。
また、伊藤果も関西奨励会に入会した当初は南口門下だったが、その後関東奨励会に移籍した際に高柳 ……

南口繁一さんが誕生してから、106年と254日が経過しました。(38971日)
亡くなってから、29年と237日が経ちました。(10829日)
28142日間 生きました。