島津雅彦しまづまさひこ
元俳優[日本]
1952年 10月1日 生 (満72歳)
島津 雅彦(しまづ まさひこ、1952年10月1日 - )は、日本の元俳優、元子役俳優である。
本名原田 龍三郎(はらだ りゅうざぶろう)。
人物・来歴=
1952年(昭和27年)10月1日、鹿児島県鹿児島郡谷山町大字上福元(現在の同県鹿児島市谷山中央)に、父・原田敬二郎、母・原田幸子、3男1女の兄弟の三男として生まれる。
父は同地に「谷山映画劇場」(のちの谷山東映、現存せず、現在跡地は鹿児島情報高等学校)を経営していた。
1958年(昭和33年)の初頭に、日活の撮影隊が鹿児島でのロケーション撮影を行った際に、地元の興行組合がそれを歓迎する宴席を行ない、その場で、女優の月丘夢路に花束を渡す役を当時5歳の島津が務め、同社にスカウトされたのが、映画界入りのきっかけであった。
その後、東京に移って日本アーチストクラブに所属し、同年4月22日に公開された吉村廉監督の『少女と風船』に出演して子役としてデビューした。
同年、日活での出演をつづけるかたわら劇団若草で3年ほど演技・発声、藤間勘紫乃に師事して日本舞踊を学ぶ。
松竹大船撮影所が製作した映画『お早よう』(1959年)、『夕陽に赤い俺の顔』(1961年)には「島津雅彦(若草)」とクレジットされている。
1959年(昭和34年)4月、東京都新宿区の新宿区立富久小学校に入学する。
多くの映画出演、テレビ出演、雑誌モデル等の活動を行っていたが、学業専念のため、1964年(昭和39年)、小学校6年次に鹿児島に戻り、 ……
島津雅彦さんが誕生してから、72年と52日が経過しました。(26350日)