中山太郎なかやまたろう
政治家、元外相[日本]
1924年 8月27日 生
2023年 3月15日 死去享年100歳
中山 太郎(なかやま たろう、1924年(大正13年)8月27日 - 2023年(令和5年)3月15日)は、日本の政治家、医師。
位階は正三位、勲等は勲一等旭日大綬章、学位は医学博士(大阪医科大学)。
外務大臣(第112・113代)、総理府総務長官(第30代)、沖縄開発庁長官(第11代)、衆議院憲法調査会長、衆議院議員(7期)、参議院議員(3期)、大阪府議会議員(4期)等を歴任した。
また歴代の総理府総務長官経験者として最長寿であった。
父は戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務めた中山福蔵。
日本で初めて女性で閣僚(厚生大臣)を務めた中山マサは母。
弟に建設大臣を務めた中山正暉がおり、長男は第一三共の代表取締役兼CEOである中山譲治、甥に元衆議院議員の中山泰秀がいる。
来歴=
1990年1月、海部俊樹らと共にベルリンの壁を訪問
1991年3月、国際連合本部ビルにてハビエル・ペレス・デ・クエヤルと
大阪府大阪市生まれ。
1952年(昭和27年)に、旧制大阪高等医学専門学校(のちの大阪医科大学、現在の大阪医科薬科大学)を卒業し、大阪医科大学小児科教室助手を務める。
1955年(昭和30年)に、大阪府議会議員選挙に出馬し、初当選を果たす。
大阪府議を4期務めたのち、1968年(昭和43年)の第8回参議院議員通常選挙に大阪府選挙区から自由民主党公認で出馬し、当選。
労働政務次官、参議院内閣委員長などを経て1980年(昭和55年)に、鈴木善幸内閣で総理府総務長官兼沖縄開発庁長官に ……
中山太郎さんが誕生してから、100年と88日が経過しました。(36613日)
亡くなってから、1年と254日が経ちました。(619日)
35994日間 生きました。