徳川家宣とくがわいえのぶ
江戸幕府第6代将軍[日本]
(寛文2年4月25日生)
1662年 6月11日 生
1712年 11月12日 死去享年51歳

徳川 家宣(とくがわ いえのぶ)は、江戸幕府の第6代将軍(在職:宝永6年(1709年) - 正徳2年(1712年))である。
初名は綱豊(つなとよ)。
生涯=
出自・甲府藩主から将軍継嗣へ=
寛文2年4月25日(1662年6月11日)、徳川綱重の長男として、江戸根津邸(現・東京都文京区根津)にて生まれる。
母は田中時通の娘・保良子。
生母はもともと網重の伯母で養母でもある千姫の乳母・松坂局の侍女であり、そういう関係から綱重の寵愛を得て妊娠したという。
しかし、父が正室である二条光平の娘・隆崇院を娶る直前の19歳の時に生ませた庶長子であったことから、この出生は秘匿されて幼名を虎松と名付けられた後の家宣は、家臣・新見正信に預けられ、養子として新見 左近(しんみ さこん)と名乗った。
生母はその後、同母弟なる清武を産んだ後、寛文4年(1664年)に28歳で死去している。
虎松が9歳のとき、正室との間に男子に恵まれなかった綱重の世嗣として呼び戻され、元服して伯父である4代将軍・徳川家綱の偏諱を受けて綱豊(つなとよ)と名乗った。
延宝6年(1678年)10月25日に父・綱重が死去し、17歳で家督を継承し、祖母・順性院に育てられた。
延宝8年(1680年)、家綱が重態となった際には、家綱に男子がなかったことから綱重の弟である上野館林藩主・徳川綱吉とともに第5代将軍の有力候補であったが、堀田正俊が家光に血が近い綱吉を強力に推したため、綱豊の将軍就任はならなかった。< ……
徳川家宣さんが誕生してから、362年と336日が経過しました。(132557日)
亡くなってから、312年と183日が経ちました。(114141日)
18416日間 生きました。