生年月日データベース

河原侃二かわはらかんじ

俳優詩人・河原森月[日本]

1897年 4月16日

1974年 死去享年78歳
河原侃二 - ウィキペディアより引用

河原 侃二(かわら かんじ、1897年4月16日 - 1974年1月26日[1])は、日本の俳優であり[2][3][4][5][6][7][8][9][10][11]、詩人・編集者出身で写真家としても知られる[2][1][12][13]。
本名同じ[2][3][4]。
詩人としての筆名は河原 森月(かわら しんげつ)[14]。
萩原朔太郎とともに詩誌『侏儒』を創刊し、新劇俳優としては「築地小劇場」「第二次芸術座」の設立に参加、写真の世界では「ヴェス単の名手」として知られる[2][1][3][4]。
人物・来歴= 詩歌と絵画と新劇と= 1897年(明治30年)4月16日、兵庫県赤穂郡赤穂町(現在の同県赤穂市)に生まれる、とされている[2][3][4][8]。
『群馬県百科事典』(上毛新聞社)には、生年は1899年(明治32年)、生地は群馬県前橋市堀川町(現在の同市表町)である旨が記されている[1]。
生後に東京に移り、東京府荏原郡品川町(現在の東京都品川区)の旧制・公立小学校品川学校(のちの品川区立品川小学校、現在の品川区立品川学園)に入学、同校を卒業して、東京市芝区(現在の東京都港区)の旧制・正則中学校(現在の正則高等学校)に入学する[2][3]。
中途で同校から、旧制・群馬県立前橋中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)に編入学して、のちに同校を卒業する[2][1][3]。
同校在学中の1914年(大正3年)8月、萩原朔太郎を筆頭に参加した詩誌『侏儒』(こびと)を創刊、満17歳にして同誌の編集人となり、編集部を前橋市堀川町の河原宅に置いた[1][15][13][14]。
同誌には、当時河原が ……

河原侃二さんが誕生してから、128年と74日が経過しました。(46826日)

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