谷麗光たにれいこう
俳優[日本]
1902年 11月15日 生
没年不詳
谷 麗光(たに れいこう、1902年11月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。
本名井上 榮一郎(いのうえ えいいちろう)。
松竹キネマの蒲田・大船の時代、多く喜劇映画の名脇役として活躍した。
人物・来歴=
1902年(明治35年)11月15日、東京府東京市日本橋区蛎殻町(現在の東京都中央区日本橋蛎殻町)に生まれる。
専修大学経済学部に進学するが、中途退学し、1924年(大正13年)7月、設立直後の築地小劇場に研究生として参加する。
同年8月、松竹キネマが松竹蒲田撮影所内に設けた俳優養成所に移る。
翌1925年4月に公開された牛原虚彦・島津保次郎共同監督による『大地は微笑む』全3篇に出演して、満22歳で映画界にデビューした。
『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』(映画世界社)によれば、同年12月1日、松竹蒲田撮影所に入社するとある。
クレジットもない端役出演の長い下積みを経て、1931年(昭和6年)8月15日、満28歳のときに公開された小津安二郎監督の『東京の合唱』で社長役を拝命、以降、同年10月16日公開、成瀬巳喜男監督の『髭の力』、翌1932年(昭和7年)1月29日公開、小津安二郎監督の『春は御婦人から』と立て続けに「社長」役を演じた。
1933年(昭和8年)1月4日、田中絹代が大幹部待遇、葛木文子、及川道子、飯塚敏子、竹内良一、岡譲二が幹部、小林十九二、坂本武が幹部待遇、小倉繁、逢初夢子、水久保澄子、大日方伝、藤井貢が準幹部に昇進したときに、谷もようやく香取千代 ……
谷麗光さんが誕生してから、122年と6日が経過しました。(44567日)