小森白こもりきよし
映画監督、脚本家、プロデューサー[日本]
(別名義・大滝翠)
1920年 1月27日 生
2003年 死去享年84歳
小森 白(こもり きよし、1920年(大正9年)1月27日 - 2003年(平成15年))は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。
別名大滝 翠(おおたき みどり)。
映画監督として活動した20年間に、60本の映画を監督した。
東京興映創立者・社長。
人物・来歴=
1920年(大正9年)1月27日、東京都世田谷区太子堂に生まれる。
少年期に中華民国・北京市に移り、旧制・北京日本中学校(1945年廃校)を1933年(昭和8年)に卒業、東京に戻り、第二次世界大戦末期の1944年(昭和19年)3月、法政大学経済学部を卒業し、同年4月、満24歳のときに東宝に入社する。
終戦後、1946年(昭和21年)、新東宝(当時は新東宝映画製作所)の設立に参加、溝口健二、阿部豊、田中重雄、中川信夫らの助監督を務める。
1953年(昭和28年)、33歳で監督に昇進、伊藤雄之助主演のコメディ映画『一等女房と三等亭主』でデビューする。
1958年(昭和33年)、大蔵貢が経営する別会社富士映画に出向、久保菜穂子主演の『太陽娘と社長族』等を監督した後に、翌1959年(昭和34年)、新東宝に復帰した。
1961年(昭和36年)の新東宝倒産まで、富士映画作品も含めて27本を監督する。
1962年(昭和37年)、富士映画の後身、大蔵映画で『太平洋戦争と姫ゆり部隊』を監督、翌1963年(昭和38年)には、グァルティエロ・ヤコペッティの『世界残酷物語』をヒントに、アーカイヴ・フッテージで構成した『日本残酷物語』を中川信夫らと共同 ……
小森白さんが誕生してから、104年と299日が経過しました。(38285日)