友川カズキともかわかずき
歌手[日本]
1950年 2月16日 生 (満74歳)
友川 カズキ(ともかわ かずき、1950年2月16日 - )は、日本の歌手、競輪評論家、画家である。
本名:及位 典司(のぞき てんじ)。
2004年に「友川かずき」から現在の表記へと改めている。
略歴=
秋田県山本郡八竜町川尻で生まれた。
川尻地区には本名の及位姓の家が4軒ほどあり、同姓の及位ヤヱもこの地区の出身である。
中学生時代に中原中也の作品に出会い、影響を受けて詩を書き始める。
1年間浪人して、のちに高校バスケットボールの名門となる秋田県立能代工業高等学校建築科に進学。
バスケットボールの練習に明け暮れた。
高校時代や一時故郷にいた頃のエピソードは、能代工業時代の恩師である加藤廣志著の『高さへの挑戦』に詳しく描かれている。
中学校時代の小野秀二を鍛えたのは友川だった。
また、NBAでプレイした田臥勇太も後輩にあたる。
飯場で働いていた二十歳のころ、行きつけの赤提灯で岡林信康の「チューリップのアップリケ」を聴いてフォークシンガーを志す。
1971年、全日本フォークジャンボリーに飛び入り参加。
1974年3月、宇崎竜童に見出され、シングル「上京の状況」でデビュー。
1977年、「夜へ急ぐ人」をちあきなおみに楽曲提供。
同年のNHK紅白歌合戦でちあきが歌った同曲は大きな反響を呼ぶ。
大島渚から『戦場のメリークリスマス』のヨノイ大尉役をオファーされていたが、秋田訛りを直すことを求められたために固辞。
同役は坂本龍一が ……
友川カズキさんが誕生してから、74年と278日が経過しました。(27307日)