細川政元ほそかわまさもと
守護大名[日本]
(10代将軍足利義材を追放、文正元年生)
1466年 生
(ユリウス暦) 1507年 8月1日 死去暗殺享年42歳
細川 政元(ほそかわ まさもと)は、室町時代後期から戦国時代初期の武将、守護大名。
室町幕府24、26、27、28代管領。
摂津国・丹波国・土佐国・讃岐国守護(一時的に近江国守護も)。
細川氏宗家(京兆家)12代当主。
日野富子や伊勢氏らとともに10代将軍足利義材を追放して11代義澄を擁立し幕府の実権を掌握、事実上の最高権力者になり、「半将軍」とも呼ばれた。
修験道に没頭して女性を近づけず、独身を貫いたため、実子はいなかった。
養子に澄之、澄元、高国がいる。
将軍を挿げ替え(明応の政変)、管領として幕政を牛耳り(京兆専制)、比叡山焼き討ちを行ったり、畿内周辺にも出兵するなど、細川京兆家の全盛期を築き、当時日本での最大勢力に広げたが、3人の養子を迎えたことで家督争いが生じ、自らもその争いに巻き込まれる形で家臣に暗殺された(永正の錯乱)。
応仁の乱の混乱の後、実力者政元の登場によって小康状態にあった京・畿内周辺は、その死と澄元・高国両派の争いによって再び長期混迷していくこととなる。
生涯=
室町幕府における最高幹部である足利一門の三管領(斯波・畠山・細川)のひとつ細川氏本家・京兆家の生まれ。
父は応仁の乱時に東軍を率いた細川勝元。
母は勝元の正室・山名熙貴の娘(養父は山名宗全)とされるが、根拠となる史料はない。
家督相続=
→「長享・延徳の乱」も参照
足利義尚
文正元年(1466年)、室町幕府管領として強い ……