志賀廣太郎しがこうたろう
俳優[日本]
1948年 8月31日 生
2020年 4月20日 死去誤嚥性肺炎享年73歳
志賀 廣太郎(しが こうたろう、1948年〈昭和23年〉8月31日 - 2020年〈令和2年〉4月20日[3])は、日本の俳優、演劇教育者。
桐朋学園芸術短期大学演劇専攻非常勤講師[4][5]。
青年団所属。
来歴=
兵庫県生まれで、幼稚園時代に東京都杉並区に引っ越し[6]、その後世田谷区へ移る[7]。
世田谷区立船橋中学校の同級生に高田文夫がいる[8]。
幼稚園の園長や小学校の担任が児童演劇協会に所属するなど演劇に造詣が深かったことから[7][9]、中学・高校から演劇部に所属[6]。
俳優座の養成所が移管されると聞き、桐朋学園大学短期大学部に入学[6]。
大学では演技の他に狂言、日舞、バレエ、体操などを学んだが、なかでも能を観世銕之丞に学んだことは印象に残っており[7]、音声学を学んだ柴田武からは、「君の声はいい声だから大事にしなさい」と言われたという[10]。
1971年、桐朋学園大学短期大学部専攻科演劇専攻修了。
卒業後はすぐ役者の道に進むつもりだったが、素晴らしいと思える先生に多数出会ったことから大学に残ることを決め[7]、1973年までゼミの助手を務める[11]。
当時は翻訳劇の舞台が多く、ヨーロッパ原作の劇が現地でどう演じられているのかが気になったため、ドイツに渡り、語学学校を経てシュトゥットガルトの専門学校へ入学[12]。
そこでは演技の基礎と考えていた体操を1年近く学び、あちこち移動した後、ウィーンで日本人補習授業校の小中学生の国語教師を務める[11][12]。
30歳を前 ……
志賀廣太郎さんが誕生してから、76年と303日が経過しました。(28062日)
亡くなってから、5年と71日が経ちました。(1897日)
26165日間 生きました。