生年月日データベース

宮地佑紀生みやちゆきお

タレント[日本]

1949年 1月9日

2026年 1月10日 死去骨髄異形成症候群享年78歳
宮地佑紀生 - タレント

宮地 佑紀生(みやち ゆきお、1949年〈昭和24年〉1月9日[WEB 1] - 2026年 〈令和8年〉1月10日)は、中京圏を拠点に活動していたタレント、ミュージシャン、ラジオパーソナリティ。
来歴・人物= 来歴= ラジオ全盛期の申し子として= 愛知県名古屋市中区大須生まれ。
実家は緞帳屋を営んでいた。
大須小学校、前津中学校、愛知高校 を卒業した。
身長163cm。
愛知学院大学卒業後、専門学校東京デザイナー学院に入学した。
23歳で、アクセサリーショップ「参百六拾六日の店」を創業した。
25歳の時、当時の名鉄セブン社員による生CMに出演したことがきっかけで、東海ラジオのプロデューサー 塩瀬修充の誘いを受け、ラジオパーソナリティとなる。
タレント活動開始当初は『ミッドナイト東海』(月曜)『どんどん土曜大放送』などを担当した。
『ミッドナイト東海』の宮地の起用に際しては、東海ラジオの社内会議で反対の声があったが、塩瀬の尽力によって出演が決定した。
1976年、バンド「無有(むう)」を結成した。
「名古屋っ子」などの曲をリリースしたが全く売れなかった。
かつては本名の「宮地由紀男」[新聞 1]で活動していた時期もあるが、長女の誕生を機に改名している。
マルチな才能で活動= タレントとして活動する一方で、「参百六拾六日の店」の経営も続け、多い時は豊橋や軽井沢など、全国で13店舗を展開したが、次第に借金が増え、店は次々と閉鎖していった。

宮地佑紀生さんが誕生してから、77年と36日が経過しました。(28160日)
亡くなってから、35日が経ちました。
28125日間 生きました。

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