生年月日データベース

流山児祥りゅうざんじしょう

俳優声優演出家[日本]

1947年 11月2日 生 (満77歳)

流山児 祥(りゅうざんじ しょう、本名︰藤岡 祥二[1]、1947年11月2日[1] - )は、日本の俳優、声優、演出家、プロデューサー。
流山児★事務所主宰・芸術監督[1]。
一般社団法人日本演出者協会理事長。
地域交流部長。
全国各地でワークショップを開催。
九州・四国・東北の演劇人との交流を積極的に進めている。
熊本県荒尾市出身[1]。
山口美也子は元妻。
経歴・人物= 三池炭鉱のある町に炭鉱夫の次男として生まれる[2][3]。
姉と兄がいる[3]。
1960年三池闘争の現場を体験する[4][5]。
1962年、父の転職で熊本県荒尾市から上京[4]、千葉県流山市に移り住む[2]。
3、4歳の頃、姉が出演していた地歌舞伎『勧進帳』を観て、「面白いな」と思ったのがきっかけで役者を目指した[2]。
小学校時代に初めて芝居をしていた[2]。
中学・高校時代は映画研究会に所属し[2]映画監督を目指す映画少年であった。
中学時代では演劇部、学生時代は新聞部にも所属していた[2]。
高校3年の時、「芝居やろう」と思い立ち、「演劇部」に入部、新劇青年を志す[2]。
千葉県立東葛飾高等学校卒業、青山学院大学経済学部[1]に進学[2]。
在学中は演劇研究部に所属、テネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラー、ジャン・ジロドゥ、安部公房、フェルナンド・アラバール、別役実などの作品に出演[2]。
1968年青山学院大学学園紛争で全共闘に参加、副議長を務めた[2]。
1969年中退[1]。
唐十郎主宰の劇団状況劇場 ……

流山児祥さんが誕生してから、77年と242日が経過しました。(28366日)

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